うれしがり日記

当たり前のことを話します

 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

コミックマーケット準備会からの緊急のお知らせ

エスカレータの事故についてあまり詳しく調べていないけど、ニュースでやっていた事故の映像では、エスカレータに乗っていた人たちは整然とは並んでいたけども1段に3~4人が乗り込むすし詰めの状態だった。
これをあの糞細長い1-4階エスカレータで支えられるわけないと思うが…と、こういう「常識的に考えて…」で話すとつまんなくなるのでこれくらいにして。

>7月以来ネット等でのコミックマーケットへの脅迫行為が複数ありました。加えて、昨今の様々な事案がある状況において、当局より手荷物確認の実施について強い指導があり、残念ながらこのような対応を取らざる得ない事態となってしまいました。

・7月以降のネットでのコミケへの脅迫行為
・昨今の様々な事案
この2つが重なってしまったために、今回の対応を取らざるを得なかったというのがこの文から読み取れる。

でもこれおかしいよね。
もともとコミケへの脅迫ってのは日常茶飯事のことで、準備会もこれらの対応については、諦めというか慣れてしまってすごく重要な案件ではなかったはずだ、いやいけないことだけどねぇ。
この前の拡大集会でもいつものこと的なこと言ってたような(言ってないかもorz)
それをこの開催直前に告知するというのは如何なものか…。
それに7月以降の脅迫って何?教えてエロい人。

上の「昨今の様々な事案」ってのは、手荷物検査についてだけで考えればテロとか凶悪犯罪とかそれをを防ぐための警備とか、そういうものが丸々「事案」に当てはまると考えられる。
でもこれはそういう意味だけではなくて、ヲタクバッシングも「事案」に入るんじゃないか。
つまり、これも対外的(非ヲタへの)アピールの一貫なんだろうなと。
つかその色合いの方が強い気がする、理由があまりにも曖昧で判断が性急すぎるからね。

しかし今回の措置は社会の流れに逆らえずに行った苦渋の決断である。
遅かれ早かれこうなったのかもなぁ、と私は感じている。
とすれば、コミケに参加する全ての人々は今回の措置に対して積極的に関わらなければならないと私は強く願う。
手荷物検査がスムーズに行うことができれば、好きなものの下でなら一致団結できる可能性を世間に知らしめることにもなるだろう。
それは上の対外的アピールに繋がるし、なにより好きな本がスムーズに買える事にもなるw
不平不満は絶対に出てくると思うが、状況を変えることを望むより、状況を楽しむ精神を持つことが何より大事だと私は信じている。

2008/07/14

それは無理

彼女によつばとを見せたら全力で引かれた

友人によつばと…。そいつがどんな奴かにもよるけど私は見せたくないなぁ…。

私もよつばと!は好きだし、もっと評価されるべきマンガだとは思う。けど万人に受けるようなマンガでもないって諦めも悲しいけど持ってる。

だってよつばと!の内容ってすごく単純化すれば、新しい町に越してきた幼女の周りで起こる些細なことを描いたマンガじゃない。そしてそこにある魅力は、例えばよつばの可笑しな言動だったり、とーちゃんとジャンボの掛け合いであったり、風香の17歳らしからぬ服のセンスとかであったり。そういう何気ない日常の描写が尋常じゃなく上手い。
けれどもこのマンガの中には、例えば主人公の成長過程やラブコメ展開なんかのマンガを作るときの王道の要素がほとんどない。マンガを読まない人のマンガの守備範囲って、この王道の要素を含むか否かが大きいと私は勝手に思ってるので、王道を含まないよつばと!を面白くないと思う人もたくさんいるだろうなとこのスレを見て感じた。それだけ。

2008/07/11

空気の言語化

ハゲのオッサン問題問題

ニコニコいじめの話、ではなく言葉にするって難しいという話。

渦中のハゲのおっさん増田さん本人はおもしろかったって言ってるんだから問題はないと思う。ただそれは増田さんの主観の問題であって、一般的な定義にできるかということになると話は変わる。というか全然違う。

A→Bという形でいじめ・いじりが行われており、それをA・Bどちらにも肩入れしない第三者のCが傍観しているとする。
この場合私は、BまたはCが「これはいじめだ」と感じた時点で、A→Bといういじりはいじめになると思う。
しかし、ABC以外の人間、つまり私たちが「あ、今Bはいじめだと感じたな」と理解することは当たり前だけどできない。私達一人一人の価値観に因るだろうし、当のABC本人達の感じ方だって千差万別だ。
だから私は、いじり・いじめの境界線を一般的に定義することはできないと考えている。

ただ今回の件ではニコニコ大会議での出来事という特殊な状況下にあった。
つまり糞丁寧に説明すると、
「ニコニコ動画という腹抱えて笑うためのコミュニティについて話をするための会議なんだから、そこに参加しているみんながニコニコ動画が持つ特殊性(動画へのツッコミ、職人とか)についてなんとなくでも理解しているはずで、ここは笑う所だとかネタで言ってることなんだという共通した認識がその場に蔓延・共有されており、ハゲというコメントも笑って良いコメントであるという共通認識の下、大爆笑とハゲコメントの嵐となった」
ということ。
みんなナカーマだった。

で言いたいのはそこではなく、いじり・いじめなど、私達が日常暮らす中で何気なく行われる行為について論じることはものすごく難しいことだということ。

大会議での状況について論じるだけでも、上記「」のようにとても多くの言葉を並べなければならない。正直しんどい。
語彙力がないという指摘だけでは済まない。

しかしコミュニケーションはそこに魅力があるよなぁとも思う。
人類補完計画みたく全人類の思考が一つになればそれはそれで便利だろうけど、やっぱ誰かと話をしたいよ。相まみえない意見のぶつかりあいもあるけど、共通の話題を見つけたときの喜びの味は格別だよ。
それと同じで全ての事例を一般化して定義することは不可能だしツマンナイことだと思う。いろんな意見があっていいし、それを批判することも自由。ただ批判される覚悟は必ず誰しもが持ってなければならない。ガキじゃねぇんなだから腹くくれと。



今日の日記は本当に言ってることがめちゃくちゃだ…orz

【ゴミ問題】 世界のブログの37%が日本語。 続いて、英語36%、中国語が約8%。 【アフィ】

私はこのブログが好きだ。
だって自分の書いたものなんだもん。

>>26
>全然関係ない話なんだけどさあ、検索するじゃん。検索。googleとかで。
それでさあ、くだらないブログが腐るほど引っ掛かるんだよね。
知ったかとか、出鱈目とか鵜呑みにしたような内容の馬鹿ブログ。
いや、早い話がお前らブログ辞めろって。
いや、それだけなのよ。まじで。お願いだから辞めて下さい。
資源の無駄、そして多くの人、社会の利便性と生産性を根こそぎかっさらってますよ。お前達


情報の取捨選択の障害になってうぜぇという気持ちはわかる。いちいちクリックするのもおっくうになって終いには調べること自体をやめてしまうときもある。

しかしそういう自分に必要としない情報なんてネットのみでなく世の中あらゆる所に存在する。
例えば新聞にはたくさんの記事や広告が載っているけど、それを隅から隅まで読む人なんて相当な暇人か校閲する人ぐらいしかいないでしょ。大抵は見出しを見て気になった記事を読む、見たくないものは読まない、それだけ。
それがネットでは、新聞という1日せいぜい40ページの限られたスペースとは比べ物にならない広大な情報の海から検索エンジンに表示された見出しを見つけて読みたいものだけ読むということになる。新聞との大きな違いは情報の量と即時性くらいで基本は変わらない。
ネットの検索なら欲しい情報を何の弊害もないままに得られるんだから邪魔するんじゃねぇ、とこのコメでは言ってるようにしか思えない。

そもそもブログはネットが使える万人にサービスとして提供されてる時点で誰がどう使おうが勝手でしょ?そんなこと言うなら大半の2ch書き込みも無駄になるよ?


「書き表すこと」の大切さ

大事だ。すげー大事。

>文字に表している内にどんどん理解が深まるなんてことがよくあるんですね。

紙に書く日記とのブログ最大の違い、それは人に見られること。それを意識するかしないかで日記を書く心構えはだいぶ変わる。誰も見てないということは私にとってはあまり問題ではない。

さらに私の場合は、文章を書かなければならないという脅迫観念を持つことが様々な物事を考えるきっかけにもなっている。面倒だけど絶対に自分にプラスになることだと確信している。
最近では文章書くことが段々楽しみになってきている自分がいる。リアルでも原稿を書き上げようと決めたくらいだし。(まだやってないけど)


■はてブのネガティブコメントって、けっこうありがたいんだけどな

ありがたいというかえらい剣幕になって本気で怒る人に問題がある。ネタかガチかもわからない文字情報に凹んだり怒ったりすることってすごく考え方が狭い。
「何怒ってんの?何でそれを楽しもうとできないの?てかどんだけ今まで満たされて生きてきたの?」と思う。
感情に感情で応えて良いのはバカップルのような周りに何も害を与えないような人だけでいい。見ててなんとなくうっとうしいなぁという気持ちは置いといて。



まずはそれなりの人が来てくれるようなブログにすることを目標にしたい。

いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか

インターネットは単なるツールのひとつであることを人々は認識・再確認すべき

という主張であると私は認識する、わかったような気になってサーセン。

で、この要約が間違っていなければ、私もそれに同意。
ネットを使うのは結局は人であって、リアルと同じような感情だって生まれる。そこにネットだからという特殊性は存在しないはず。
知恵袋とか2chとかでギブアンドテイクで情報交換がなされたりしているのを見ると、最低限のマナーっていうものはネット世界でも守られているように思う。(そら最低限のマナーというものは人によって基準がマチマチだけど)

しかしここで考慮しなければならない点がある。
ネットという世界は現在、容易く且つ瞬時に世界のあらゆる情報を得られるツールに成長し私達にとって当たり前の存在になったが、ネット聡明期(2000年以前くらい?)にはほとんどの人々がネットの扱い方がわからなかった点だ。

年配の方から見れば、社会にこれだけ浸透した現在ならともかく、当時突然出てきたわけのわからないネットという文化に積極的に触れるなんてことはなかったはずだ。比較的物事の飲み込みが早いと考えられる若者たちでも、今までの新聞やテレビなどとは違った自分たちで情報を発信することができるツールをどのように使いこなすか悪戦苦闘した。
わけわかんない、カオスな状況だったからこそ、最低限のマナーを確立しようとネチケットなどの考えををわざわざ明文化した。

それが今も叫ばれている理由、それは新参への注意喚起が大半を占める。
わからないんだから教えてあげるのが普通だし、そしてそれもまたネチケットになる。

俗に言うオタクバッシングも仕方ない現象ではあると私は思っている。いけないことだよ、もちろん。でも彼らもまたわからない人であるが故に、レッテルを貼って、話を単純化して、結論を導き、わかったような気になって、安心する。
どんな時にも、その文化をわからない人・知らない人ってのはいるわけで、そうである以上新参は生まれ続ける、永遠に。

ただ人々に正確な情報を提供することが義務である(と私は考えている)マスコミが、わからない人・知らない人のままで情報を提供していることはどうも納得がいかない。新潮報道とか。